どうにかしたいのに
遺品整理どころか、自分の荷物が散らかり始めてしまっている。
小さなことからコツコツと
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年末にひどい風邪をひいて、いまだに引きずっている。親からも「アラフォーの風邪は1ヶ月かかる」と言われ諦めている。
「家をめぐる3つの物語」を見た。三者三様の家への執着の物語で、少し分からないところもあったけれど、ラストは朗らかに終わったのでまあよかったかな、と思った。
お酒を飲んでいる
仕事に行けば新人の上司のおとぼけと、もともといる上司の手のひら返しに辟易し、家に帰ると役所などから重たい手紙が届いている。コロナ禍も大分落ち着き、マスクをしながら友人と食事をするのもできるようになったけれど、これまでのストレスの溜まり方とは違う。日々、重たくのしかかってくる。1日があまりにも重たくて、それでお酒を飲みだした。
今まで「家で飲むお酒はなんであれ美味しくない」と思っていた。ビールも焼酎もワインも、お店では美味しくいただくのに、家だと美味しいと感じなかった。
ただ、すすきのでお世話になった方にご挨拶をしに行ったときにひどく傷ついた出来事があって、しばらく外では飲みたくない。それでも「お酒でも飲もうかな」と思ってしまったからには、美味しく飲みたい。
まずはコップを買った。ビールグラスと焼酎グラス。そして、飲んだことのないクラフトビールとトマトジュース、お店にあったら必ず頼む芋焼酎も。
飲むとなると食べるものもおつまみになる。お弁当に使っていたシャウエッセンは焼き目を付けて、減る気配を見せないジャガイモでガレットを作りニンニク入りのオーロラソースも拵える。
「私も家では全く飲まない。お酒の味は雰囲気や気分で変わる」とは、20年来の付き合いの酒豪の言葉だ。これは正しかった。「美味しく飲みたい」と思って準備して、ワクワクしながら飲んだお酒が、美味しい。グラスはアデリアの「クラフトビア・マスター 爽快」。見た目は小さく感じたけれど350缶に丁度良い。飲み口も滑らかでゴクゴク飲めるのに香りも来る。なにより可愛い。
推しが声を当てたおじゃる丸を見ながら初めてのおうちレッドアイも、美味しく飲めた。そして最後は黒霧島をお湯割りで。一口飲んで、この日は限界を迎えた。
11月29日、月命日にかこつけて、銀のさらを取る。
前回の反省を踏まえた割合で黒霧島のお湯割り。お寿司一貫に対して何口も飲めてしまうほど美味しい。焼酎グラスはHARIOの耐熱タンブラー。お湯を沸かすのも面倒で、水割りを作って電子レンジでチンしている。レンジの設定温度は60℃。
薄くて軽く、口当たりもよいグラス。見た目も形もシンプルで気に入っている。
お寿司と焼酎のお湯割りが合いすぎて、感動してしまった。魚には日本酒とは言うけれど、芋焼酎のお湯割りもいい。
こんな具合で連日お酒を飲んでしまって、さすがに今日は我慢しようと思って帰宅したところ、またお手紙が届いていた。かなり大きな金額で、頭が痛くなった。税理士に相談した方がいいかもな…と思いながら、とりあえず空腹をホテルパンで満たしてみた。
お腹を満たしたらこなくそ精神が湧き出てきてしまって突然キッチンに立ってしまった。火曜市でアボカドが安かったから買ってしまったのがそもそもの間違いではあるのだけれど、あるのだけれど!
美味しい!めちゃくちゃ美味しい!
というわけで、黒霧ソーダ割りを飲んだのでした…。
友人は、「いいね、めっちゃJOYするね!その調子!」と言ってくれる。生きていくにはJOYが必要なのだ。
お弁当作り
冷蔵庫の食材を使わないと、という使命感にかられて、試しにお弁当を作ってみた。
鮭フレークにシャウエッセン、それに甘い卵焼きを付けてみた。そして気付いた。甘い卵焼き、好きくない。
それ以降しばらくいつも行っている食堂に食べに行っていたのだけど、量が多いのと、最近日替わり定食の売り切れ率が高いというのがあって、今週の水曜日から試しにお弁当を作るようにしてみた。
水曜日、シャウエッセン、ピーマンとしめじのポン酢炒め、しょっぱい卵焼き。
木曜日、鮭フレーク、アスパラベーコン炒め、しょっぱい卵焼き。
金曜日、シャウエッセン、ピーマンとちくわのポン酢炒め、しょっぱい卵焼き。
しょっぱい卵焼きは塩を入れただけ。木曜日と金曜日は下にケチャップを仕込んである。
木曜日のアスパラベーコン炒めはセブンイレブンの冷凍食品。袋の中身をフライパンに開けて塩コショウを振るだけ。
毎日は飽きるかもしれないと思いつつ、量が丁度いいので続けたいとも思う。二日に1回、1合炊くと、私と夫で丁度いい量になる。
前に進むために
夫が亡くなって3週間が過ぎた。
整理整頓が苦手な夫が残していったものは、生前からクローゼットからあふれ出し不衛生極まりなかった。葬儀が終わった後、「これを片付けないといけないのか」と絶望して、義理の兄や両親に、とりあえず目に見えて溢れているものを処分して欲しい、と頼んだ。ほとんど自暴自棄になっていた。たまに「これ、捨てていいの?」と聞かれても、使っていた人はもう死んだんだから、普通に考えたらいらないに決まってるんだよ、と心の中で叫んだあと、「分からないからそのままで」と伝えた。
まだ少しはみ出しているものの、クローゼットの一角が完全に空っぽになって、「この荷物も片付くんだな」と安心した。安心したら、罪悪感が生まれた。こんなに簡単に片付くなら、選んであげたらよかったと、初めて後悔した。クローゼットの半分はまだまだ夫のものが詰まっている。それらはちゃんと吟味して、クローゼットの1/4くらいは夫のスペースとして取っておくものをしまおうと決めたら、ほんの少し心が落ち着いた。
「探偵ナイトスクープ」で『亡き母が作った5年前の角煮を食べたい』という回は有名で、私も傑作選を見て涙したのだけど、この気持ちが痛いほど分かる。食べることも捨てることもできない、と娘さんがおっしゃっていたあの回だ。
「行動した痕跡」が、一番尊くて、一番辛い。
下着や洋服をバンバン捨ててしまった後も、「残りはもう少し吟味して、ちゃんと残しておこう」と切り替えられた。でも、冷凍庫に残った『夫が冷凍したご飯』がどうしても無理なのだ。夫が冷凍した、夫用のバカみたいな大きさのご飯と、私用の小さなご飯。食べることも、捨てることもできず、見るたびに辛くなる。
葬儀や手続きの忙しさは悲しみを紛らわせるためにある、みたいな言説があるけれど、真っ赤な嘘だった。葬儀や手続きは大変なだけで、それとは別に24時間悲しみは訪れる。
それでも生きていかないといけないので、今は私が暮らす環境を整えたい。私だけが暮らす、私のための環境を整えたい。
夫のお陰で出来るようになったことはたくさんある。感謝しながら、時に面倒くさがりながら、這ってでも前に進む。